SNSで「もう二度と見たくない胸糞映画」として度々話題になる映画「子宮に沈める」を鑑賞しました!
「鬱映画として有名だけど実際どうなの?」「結末が知りたい!」という方向けの内容となっております。
本記事は結末までのネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
映画「子宮に沈める」のあらすじ・基本情報
2010年に発生した「大阪2児餓死事件」を基に、児童虐待とネグレクトの凄惨な現実を描いた社会派ドラマ。
離婚を機にシングルマザーとなった母親・由希子が、ワンオペ育児と困窮の果てに追い詰められ、幼い姉弟の幸と蒼空をアパートの部屋に置き去りにしてしまいます。
ライフラインが止まり、ゴミに埋もれた部屋で懸命に生きようとする子供たちの視点から、社会の孤独と絶望を静かに描き出します。
| 公開日 | 2013年11月9日 |
|---|---|
| キャスト | 伊澤恵美子 土屋希乃 土屋瑛輝 辰巳蒼生 仁科百華 |
| 監督 | 緒方貴臣 |
| 上映時間 | 1時間36分 |
| ジャンル | ドラマ・スリラー・推理もの・ クライムフィクション |
【ネタバレ】ストーリーの結末と感想
実はこの映画はもうずっと前から知っていたのですが…実話を基にしており子供が悲惨な目に遭う映画と聞くとなかなか見る勇気が出ませんでした。
アマプラで見放題配信されていることもあり、意を決して見てみることに。
結果、多くの人から「もう見たくない」「お勧めしない」とされる評価のとおり、後味の悪さで一生忘れられない作品になりそうです。
平和な母子から一変する日常
物語の序盤は、至って平和な母子の日常から始まります。
良き母として子に尽くす姿がそこにはありましたが、夜になっても父親の姿が見えないことから不穏な気配を感じ、私は「表面的な平穏」のように空虚さを感じていました。
そして、やっと現れた夫が夜深くに帰宅します。
母親も薄々は夫からの愛が冷めていることに気づいていたのでしょうか。
愛を確かめようと迫りますが、冷たく拒絶され、二人の関係はそこで完全に破綻してしまいます。
金銭的にも精神的にも追いつめられていく母親
突然、二児を抱えたまま家事育児と仕事を両立する必要に迫られてしまう母親。
しばらくはパートの仕事をしながら資格の勉強にも励む母親でしたが、女友達に勧められて夜職を始めるようになります。
この女友達がかなり非常識で、子供の寝静まった夜深くに押しかけて騒ぐわ、煙草吸うわでドン引きしましたね…。
映画を観終えた今、夜職を始めてしまうことは母親にとって重大なターニングポイントだったと思います。
深夜に男連れで帰宅することが増え、寂しさを埋め合わせるためかホスト通いにハマっていく母親の変化が本当に辛かったです。
だんだん家事育児が二の次になっていき、子供の存在を億劫に感じ始めていることが伝わります。
密室の中で孤立する子供たち
「早く帰ってきてね」という幸の言葉に快く頷く母親ですが、その日から母親が帰ってくることはありませんでした。
出ていく直前に子供へ与えた山盛りの炒飯がどう考えても3歳の子供が一度に食べられる量じゃなくて、もう帰るつもりがないと分かります。
そこからは、母親の帰らない静寂の中ひたすら飢えていく姉弟と崩壊する家庭を見ていくことになります。
お腹を空かせて泣く弟のために、まだ3歳の姉が母親代わりに粉ミルクを作ったりお守りする姿に胸が締め付けられました…。
視聴者側はもう母親が戻ることはないとなんとなく察する頃になっても、幸や蒼空は母親をずっと信じて待ち続けているんですよね。
幸が玄関に出ようとするシーンで、初めてドアや窓がバリケードや粘着テープなどで厳重に塞がれていることに気づきゾッとしました。
衝撃のラスト
母親が帰らないまま蒼空は衰弱し、ついに死んでしまいます。
死んでしまっているとわからない幸は、蒼空の誕生日を祝う歌で、動かない蒼空に声をかけ続けるのでした。
マヨネーズや観葉植物まで口にして飢えをしのぐ幸ですが、全ての食べ物が尽き始め限界を迎えつつありました。
そんな折、突然母親が帰宅します。
あまりの異臭に鼻をつまみながら帰宅する母親に、幸は喜んで飛びつきます。
風呂も入れず乱れた髪や衣服の幸と対照的に、母親は年若い女性らしく着飾った髪やドレスで、家を出る前より一層美しい姿になっていたのが印象的でしたね…。
淡々と蛆の湧いた蒼空の亡骸をガムテープで覆い処理する母親は、一体どんな心情なのか…想像も尽きません。
洗濯機で何かを洗浄する場面が映されますが、蛆で汚れた蒼空を洗っていたのであれば母親はもはや正気ではなかったのかもしれませんね。
私は「幸、よく生きてたなぁ」とすっかり安心していたので、不穏な水音の後に静かになる浴室のシーンでは背筋が凍りました。
母親は水を貯めた湯舟で自分の娘を「沈めて」しまったのでした。
まさかせっかく生き延びた幸まで殺してしまうとは思わず、このシーンはあまりにもショックでしばらく受け入れられませんでした。
そして、一人になった母親は裁縫に使う棒針を自らの子宮に突き立てます。(おそらく堕胎のため)
その後、股から血を流し泣きながらシャワーを浴びていた母親が、突然目をギョロつかせ真顔になる表情がめちゃくちゃ怖いんです…。
寄り添う幸と蒼空をシートに包み、呆然と窓の外を眺める母親の姿で物語は終わります。
映画「子宮に沈める」のここが凄惨!心をえぐる演出
「子宮に沈める」が「最凶の鬱映画」として語り継がれる理由は、ストーリーの残酷さだけではなく、それを表現する徹底的な演出手法にあります。
観る者の心を極限まで削りにくる、本作独自の3つの演出ポイントを解説します。
定点観測のような長回しカメラ
映画「子宮に沈める」を観ていると、まるで自分がその部屋に一緒に閉じ込められているような、ものすごい圧迫感を感じます。
この映画のカメラは、部屋の決まった場所に置かれたまま、ほとんど動きません。
まるで監視カメラの映像をずっと見せられているような感覚です。
お母さんがいなくなって、部屋がどんどんゴミ屋敷になっていく様子や、子供たちが元気を失っていく姿が、画面の切り替えなしでずーっと映し出されます。
「カメラが動かない」という演出が、観ている私たちに逃げ場をくれず、最高の鬱度を引き出しているのです。
BGM(音楽)の排除
「子宮に沈める」では、BGMや主題歌といった音楽が一切使用されていません。
悲しいシーンで流れるメロディも、恐怖を煽る効果音もありません。
部屋の中に響くのは、水がポタポタと落ちる音などの生活音や、お腹を空かせた子供がぐずる泣き声だけ。
過度な演出を削ぎ落とすことで、アパートという密室の孤独とリアルな恐怖を際立たせることに成功しています。
子役たちのリアルな衰弱描写
本作を「フィクション」として観ることを許さない最大の要因は、置き去りにされる姉弟(幸と蒼空)を演じた子役たちの、あまりにも生々しい演技にあります。
映画に登場する子供たちは、いわゆるセリフを上手に喋る子役ではありません。
劇中では、カメラがただそこにある日常を切り取ったかのように、子供たちのリアルな一挙手一投足が映し出されます。
母親が消えた部屋で、お腹を空かせた姉弟が調味料をそのまま口に運ぶ姿、おもちゃの粘土を食べてしまう姿、そして言葉にならないぐずり声や泣き声。
これらは演技という枠を超え、本物の飢餓と衰弱のドキュメンタリーを見せられているかのような錯覚に陥らせます。
【考察】なぜ母親は子供を「沈めた」のか?
結末で母親・由希子がとった行動は、一見すると冷酷で理解しがたい狂気の選択に映るかもしれません。
実際、映画の視聴者からは作中の母親の行動を批判する声が多数です。
(私も子供たちが閉じ込められ衰弱していく光景や、子から逃避し男に溺れていく母親の無責任さにどうしようもない怒りを感じました)
しかし、母親を単なる鬼畜として切り捨てるだけでは、この映画が突きつける本当の絶望を見誤ることになります。
なぜ母親は我が子をアパートに置き去りにし、最後にあのような行動に至ったのか、その心理とタイトルの真意を考察してみました。
ワンオペ育児の限界と孤独
主人公・由希子が我が子を置き去りにしたプロセスは、決してある日突然生まれた狂気によるものではありません。
そこには、「母親なら子供を愛して当然」「女は誰でも母性を持っている」という社会的な幻想と、それに縛られながら誰にも助けを求められなかった孤独な現実があります。
物語の序盤、由希子は子供たちを愛し、懸命に育てようとする「普通の母親」として描かれます。
しかし、夫の無責任な離婚によって生活は困窮する中、昼夜を問わない労働とワンオペ育児の限界が、由希子の精神を少しずつ削っていきます。
社会や周囲の人間は「母親なのだから耐えて当然」と無言の圧力を与えるばかりで、由希子から他者への依存という選択肢を奪い去ったのです。
行政のセーフティネットからもこぼれ落ち、頼る宛てもない孤独の中で心が完全に摩耗してしまった結果、由希子にとって子供たちは「愛すべき存在」から「自分を縛り付ける重荷」へと変貌してしまったと捉えられます。
タイトル「子宮に沈める」の意味
本来「子宮」は子を産み出す場所であって、「沈める」行為とは対極的なものなので、視聴前からそのタイトルの不気味さや不穏さをひしひしと感じていました。
一体どういう意味を持つのか、映画を見ながらもずっと考察していたのですが…
大まかに想像していた通り、「子宮に沈める」=「子供を生まれる前に還す」という意味のように感じました。
由希子にとって我が子を「沈める」という行為は、これ以上誰も傷つけないため、そして自分自身もこれ以上傷つかないための、悲しい逃避だったのかもしれません。
生み出した命をもう一度自分の内側へと還そうとするかのようなラストシーンは、歪んでいるけれど確かに存在した「子への愛情」にも見えます。
「大阪2児餓死事件」の概要・映画との違い
映画「子宮に沈める」のベースとなったのは、2010年7月に大阪市西区のマンションで発覚した「大阪2児餓死事件」です。
「大阪2児餓死事件」
2010年7月30日に発生した大阪府大阪市西区のマンションで2児(3歳女児と1歳9か月男児)が母親の育児放棄によって餓死した事件。
裁判は最高裁まで争われ、2013年3月25日に懲役30年が確定した。
しかし、映画ではこの結末に決定的な改変が加えられています。
劇中では、母親の由希子がアパートに戻った際、1歳の弟はすでに餓死していたものの、3歳の姉(幸)は奇跡的に生き延びて母親を迎えました。
映画のラストでは、戻ってきた母親が生き残った娘を自らの手で浴槽の水に沈めて溺死させるという、現実以上の衝撃的な不条理が描かれます。
実際の事件が「ネグレクトの果ての餓死」であったのに対し、映画は「極限まで孤立した母親による直接的な殺害」へと物語を昇華させています。
映画「子宮に沈める」の評価・口コミまとめ
映画「子宮に沈める」を見た視聴者からは、以下のような評価がされています。
映画「子宮に沈める」の評価:3.2/5
以下のように、「子宮に沈める」について肯定的な意見と否定的な意見をそれぞれまとめました。
実話だからこそ見るべきという声や、まだ幼い子供が救われない展開に後味が悪いという声もあり、賛否が大きく分かれた作品であることがわかります。
まとめ
映画「子宮に沈める」が後味の悪い「胸糞映画」と言われる前評判どおり、ラストまであまりにも救いのない物語でした。
万人に勧められる映画ではないし、見るならそれなりの覚悟をもって視聴すべきでしょう。
映画の大半はただ子供が衰弱していく姿を映し続けるため、怒りや悲しみ、無力感を感じるだけです。
考察好きなら楽しめる部分があるかもしれませんが、人によってはただ不快になるだけという方もいるはずです。
しかし、現実で起きているネグレクト事件の凄惨さをどの映画よりも痛烈に教えてくれる作品だと言えます。
映画「子宮に沈める」をおすすめする人
- 胸糞映画で底抜けの地獄を体感したい
- ネグレクトの実態に興味がある

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